ミステリとしてのアルセーヌ・ルパンとコンサート・ツアーの停止とレコーディングアーティストへの脱皮

物語後半からであるが、日本で初めてステレオ放送されたTVアニメである。演出の軸は御厨恭輔、キャラクターデザインの北原健雄は全話の作画監督も担当し作画面の責任を負った。前番組の『元祖天才バカボン』から引き継いだ東京ムービーのスタッフ陣である。脚本は、前シリーズから引き続き、大和屋竺、山崎忠昭ら、日活などで活躍した実写畑系ライターが顔を揃えた。彼らの人脈から、映画監督の高橋伴明、本作で脚本家デビューを果たした浦沢義雄らも加わる。シリーズ途中からは監修として映画監督鈴木清順も参加した。選曲は鈴木清司。彼による独特の音楽演出手法(劇伴を細かく編集し、半ば効果音のように1コマ単位で映像に合わせる)は前番組同様に随所で試みられた。前シリーズの演出家3人の内、大隈正秋と高畑勲は参加していない。宮崎駿は、劇場映画第二作『ルパン三世 カリオストロの城』を監督するため、日本アニメーションから東京ムービー系のテレコム・アニメーションフィルム(以下テレコム)に移籍している。テレコムの社員の仕事として、本シリーズ後半で照樹務名義で2作品の脚本と演出を担当している(第145話『死の翼アルバトロス』、最終話『さらば愛しきルパンよ』)。この2作は放映当時はテレビ局側からの評価はおもわしくなかった。すでに出来上がっていたルパン三世のキャラクターデザインからかなり外れていたため、一度は局側から受け取りを拒否されている。



また作製中のプログラムはバッテリーバックアップされるが、外部入出力は一切できない。したがってサンプルプログラムをロードするだけで自作プログラムはすべて消える。すなわちBASIC初心者が既存のサンプルゲームを適当に改造して遊ぶような使い方が想定される、入門用のBASICソフトになっている。もともとBASICは方言が激しいことで知られるが、本作ではゲームを作りやすいように以下のような専用のコマンド・関数が用意されている。なおグラフィック命令はCLSでファンクションキー表示を消した後しか使用できない。



『土曜トップスペシャル』が終了して2年半。それ以降土曜の夜に単発番組が編成されることは無かったが、それまで2時間枠だった『木曜スペシャル』が再び90分枠に戻ったのに伴い、1988年4月16日から別枠で2時間の単発ゾーンを土曜のゴールデン枠に設けた。放映された内容も、『木曜スペシャル』と違う編成、又は「欽ちゃんの仮装大賞」、「鳥人間コンテスト」といった日テレの名物企画などであった。また、同番組はプロ野球中継の雨傘番組としても用いられた。後期の同番組の後継枠『マジカル頭脳パワー!!』編成後は視聴率的に好調なため編成されなくなったが、『木曜スペシャル』と枠交換し、『スーパースペシャル'94〜2004』になってから三度編成されるようになった。2009年3月27日の『金曜ロードショー』枠で放送された後、2009年5月にはCS放送日テレプラスでも放送された。日テレの誇る怪盗『ルパン三世』とytvの誇る探偵『江戸川コナン』との共演作品として、放送の約2年前からプロジェクトが動き出していた。放送に先駆けて多くのPRが行われ、放送週の週刊少年サンデーでは出版社の枠を超えてルパンとコナンによる表紙が掲載されたほか、両原作者の対談も掲載された。表紙の内容は、両主人公が相手のトレードマークである眼鏡とワルサーP38を持ち合うというものであった。



岐路に立たされた大塚は、東映で一緒に子供向けアニメを作っていた周知の高畑勲と宮崎駿(当時東京ムービーの専属下請け会社であったAプロダクション(後のシンエイ動画)に在籍していた)2人に演出を依頼した [3]。 両名は以後原作の影響の強いハード・タッチの作風を中盤以降、徐々に低年齢層向けに軌道修正していく [4]。 宮崎は後年、大隅時代からAプロ時代のルパン像の変化を、“退廃したフランス貴族の末裔から、何かうまい話はないかと常にきょろきょろとあたりを見回しているイタリアの貧乏人の子倅への変化”と称している。高畑勲、宮崎駿演出のルパンは、視聴率は9%程度と序盤よりは安定していったものの、約半年後の全23話で放送が打ち切りとなった。だが、数年後の再放送で夕方の放送枠にもかかわらず20%台という異例の高い視聴率を叩き出し評価が高まり、その質が改めて評価されることとなった[5]。ただし、大隅は後年、再放送の人気が高まった理由を当時のTV局で聞いた際、「余計な説明をしていない、新しさが未だにある」など、視聴率が低かった理由と全く同じであった、と語っており[6]、再放送の人気が高まった理由は必ずしも宮崎・高畑両名の参加による路線変更のみにはよらない。そして本放送終了から約5年後、再放送の人気を背景として新作アニメ(『TV第2シリーズ』)が製作される事になった。宮崎駿は、『ルパン三世 カリオストロの城』や第2シリーズでの2作は「第1シリーズでやったことの総棚ざらえ」と称している。第1シリーズについては「ぼくらはまぎれもなくハングリーだった。スカッとしたおもしろい仕事をやりたいという願望と気力はいくらでもあったのだ」と意欲が強かったことを語っている。しかし「放映中の路線変更は製作を混乱させ、テレビアニメーションの技法が停滞した時期もあって、画面は乱れ、完成度は低く、技術的に見るところのない作品であった」と評している。再放送で人気を得た理由を「ベンツに乗るルパンと大衆車のフィアットに乗るルパンがせめぎあい、結果として番組に活力をもたらしたのが原因では」と語っている[要出典]。



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