第67話『ルパンの大西遊記』と第128話『老婆とルパンの泥棒合戦』

ライブ活動をやめてからの彼等は、新曲のプロモーション用にイメージフィルム(ビデオ)撮影を行ってそれをテレビで放送するという方法を取り始めた。プロモーションのためにいちいちテレビ局に出向いて演奏を披露するのが面倒になってきたためで、「ならば自分たちで演奏シーンの映像を作ってそれをテレビ局に配信すればよい」という考え方に至ったためと言われている。プロモ映像の製作は1965年の段階ですでに始められており、これが現在のプロモーション・ビデオの原型であると見る向きもある。またポールが主権を取り、マジカル・ミステリー・ツアーを製作する際、音楽を映像で表現してみようという発想からも見ることが出来る。『ビートルズ・アンソロジー』においても、ジョージが冗談交じりに「MTVは僕らの発明さ」と語っている通り、当時は非常に画期的なことであった。 ちなみに「MTV」は1980年代に入ると欧米を主に人気を博して行く事になる。1964年の全米ツアーは1か月に24都市を回るという強行スケジュールであり、メンバーの疲労も非常に激しいものであった。そのため、1965年の全米ツアーは日程が大幅に短縮され、2週間で10都市を回るスケジュールとなった。その代わりに、コンサート会場として、何万人もの観客を一度に集めることができる野球場を使うことになった。そして、1965年8月15日、ニューヨークのシェイ・スタジアムにおいて、それまでに前例のない史上初の野球場でのコンサートが行われたのである。この日、球場には実に55600人もの観客が集まった。1965年の全米ツアーのみならず、翌1966年の全米ツアーでも多くの野球場が使用された。ビートルズ最後のコンサートも野球場であった(1966年8月29日、キャンドルスティック・パーク)。その後、野球場でのコンサートは一般化し、野球場でコンサートができることは、ロック・バンドにとっての一種のステイタスとなった。ビートルズがコンサート会場として野球場を使ったのは、一度に大勢の客を集めて移動の手間を省く、すなわち、少ない労力で最大の効果をあげることを目的としたものであったものの、野球場コンサートのステイタス化の先鞭であったといってよい。



しかし、なかなか製作が思うように進まず、ルパンのゲームの製作権がセガの方へ移ってしまったため没案となっている。なお、この「生きていた」というアイデアは、2002年発売のOVA第2弾『ルパン三世 生きていた魔術師』に受け継がれることとなる。またゲームブック「ダークシティの戦い」もこの作品との関連性が読み取れる。当初、東京ムービー新社は、鈴木清順ら『ルパン三世』TV第2シリーズ(新ルパン)や『ルパン三世 ルパンVS複製人間』の脚本家チームが執筆した脚本を元に大塚康生へ監督を依頼していたが、気乗りしない大塚は宮崎に監督就任を要請した。当時、宮崎は日本アニメーションで高畑勲らと『赤毛のアン』のレイアウトや場面設定をしていたが、これを降板して1979年5月に制作準備に取りかかる。後の作品と同様、宮崎は脚本なしでイメージボードと絵コンテを描き始め、脚本は共同名義の山崎晴哉がリライトした形となった。



再放送回数多数。現在までに日本テレビ系のみならず様々な局で放映される、日本のテレビアニメーションで最も再放送回数の多い作品である。2000年頃までは日本テレビでは平日夕方、よみうりテレビでは日曜正午枠でよく再放送されていた。特によみうりテレビでは長年にわたり毎週二話ずつ、全話をループ状態(最終話まで放送したあとまた第1話に戻る)で放送し続けていた事もあり、関西出身の一定の世代には作品が深く浸透しているようである(KinKi Kidsの堂本剛は「関西で日曜のお昼といえばルパン!」と熱く語っている)。今では地上波での放送は減ったもののCS(2009年現在はアニマックスで23時30分より通常放送版を放送している。またキッズステーションでも月に一回程度特番枠としてOVAを放送している。)での再放送が多い。日本テレビのプロデューサーである武井英彦は「1989年の『ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!』に始まるTVスペシャルは、本シリーズの再放送が高視聴率だったために誕生した企画」と述べている。3番目のオープニングは、98話までモノラル版で99話からステレオ版(その他効果音入り)である。



銭形と、五ェ門と同門だったオカマの殺し屋貞千代の追撃をかわして逃亡に成功したルパンは、ようやくモロッコに到着する。そのモロッコでは、かつてのイギリス占領政策を背景に街の実権を握るイゴ族と、奪われた民主自治の復活を求めるゲルト族が対立していた。100年以上の長きにわたってゲルト族に受け継がれてきた、民族の悲願が息づく街角でルパンの前に現れたのは、地道に抵抗運動を続けるゲルト族の少女ララ、そしてご存知峰不二子であった。再び襲撃してきた貞千代をかいくぐり、捜査に乗り込んできた銭形警部をごまかしながらルパンの耳に入ってきた情報は、ゲルト族の抵抗運動が長老の率いる一派と、長老の息子ガルが中心になって結成した新興結社の2つに分かれて活動しているというものだった。



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