第124話『1999年ポップコーンの旅』と第124話『1999年ポップコーンの旅』
さっそくルパンは、マイケル・スズキの依頼でガラス乾板の運搬を担当している銭形警部を狙うが、銭形が機転をきかせて計画は失敗。次元に協力を求めたルパンであったが、次元は虫歯のために銃を撃つのもままならないありさま…。協力を断られたルパンは、仕方なく単独で行動を開始した。一方、銭形のもとには雑誌記者のまりやが取材に押しかけてくる。取材攻勢にあいながらもガラス乾板を届けた銭形は、マイケル・スズキが造ったテーマパーク「アクアポリス」の警備を命じられてはりきっていた。銭形の警備のもと、ガラス乾板をトラックで輸送することを知ったルパンは、輸送中にガラス乾板を盗む作戦を実行する。途中で次元を巻き込み、いざトラックに乗り込んだルパンを待っていたのは、マイケル・スズキの部下であるゴンドウだった。ゴンドウにルパンが苦戦している目の前で、ヘリコプターで現れた不二子と五ェ門にガラス乾板を奪われてしまう。
その帰りに藤岡から大隅に「今後、子供向けの内容でやってくれないか?」と依頼されたが「じゃあ子供向けにやって、人気が出る確証はあるんですか?」と反論し「それでは自分は降ろさせてもらう」と番組降板を切り出した。この日を境に、大隅はスタジオに全く入ってない為、引継ぎなどは全くされなかった。 (大隅は「誰もこのあと引き継ぐやつなんていないだろう」と考えていた。以降の話も見ず、十数年以上ルパンについての取材も断り続けた。) (NHKBSルパン特集2008年7月29日放送内、制作秘話より)岐路に立たされた大塚は、東映で一緒に子供向けアニメを作っていた周知の高畑勲と宮崎駿(当時東京ムービーの専属下請け会社であったAプロダクション(後のシンエイ動画)に在籍していた)2人に演出を依頼した [3]。 両名は以後原作の影響の強いハード・タッチの作風を中盤以降、徐々に低年齢層向けに軌道修正していく [4]。 宮崎は後年、大隅時代からAプロ時代のルパン像の変化を、“退廃したフランス貴族の末裔から、何かうまい話はないかと常にきょろきょろとあたりを見回しているイタリアの貧乏人の子倅への変化”と称している。高畑勲、宮崎駿演出のルパンは、視聴率は9%程度と序盤よりは安定していったものの、約半年後の全23話で放送が打ち切りとなった。だが、数年後の再放送で夕方の放送枠にもかかわらず20%台という異例の高い視聴率を叩き出し評価が高まり、その質が改めて評価されることとなった[5]。ただし、大隅は後年、再放送の人気が高まった理由を当時のTV局で聞いた際、「余計な説明をしていない、新しさが未だにある」など、視聴率が低かった理由と全く同じであった、と語っており[6]、再放送の人気が高まった理由は必ずしも宮崎・高畑両名の参加による路線変更のみにはよらない。そして本放送終了から約5年後、再放送の人気を背景として新作アニメ(『TV第2シリーズ』)が製作される事になった。
ある宿舎でルパンは6日後に行うその競馬場の売上金の強奪計画を完璧なシミュレーションと同時に立てたルパン。前祝だと街へと繰り出し、途中用事を思い出した次元と別れたとルパンは、怪しげな男たちに追われている少女・ミシェルを助ける。彼女はルパンに悪事を働いている父親・ガズ・キューイックからダイヤ「女神の涙」を奪い、悪事を阻止してほしいという依頼を受ける。6日後には競馬場の金、上手くすればダイヤも手に入るかもしれないとふんだルパンは彼女の依頼を受けることにする。一方、次元はかつての戦友・ライアットと再会していた。次元はライアットがジェニーを死なせたことを恨んでいたが、かつての隊長であるガズをギャフンと言わせてやろうじゃないかという彼の話に乗り、ライアットと行動することになる。また、不二子は五ェ門と共にダイヤ展示会に潜入し、ダイヤを奪う計画を立てていた。
舞台:アメリカ、ペルシャ王国舞台 イギリスのリバプール舞台:中国の万里の長城